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社会福祉科

そのつど晩年を生きる

この二・三日、筆者への問い合わせが多くて、地域活動を披露します(決して遊んでいません、との意)

昨日と本日の二日間、多文化共生社会に資するソーシャルワーク活動の一環として、京都市にある某日本語学校と障害者施設、そして大阪市にある某日本語学校、数件を回ってきた。

京都では、我が教え子Sさんが立派に主任ソーシャルワーカーを務めており、再会するなり「先生、おいくつになられました?」とすっとんきょうな会話になった。

「なにが? あらたまって」と問いただすと、「いえ、ふけたというか、雰囲気が以前とちがって……」(要するに、京都の教室で教えていたころと風貌がぜんぜん違っていると言いたいようである)。

「それはそうでしょ。もう年金もらえる年になったんだもの」と、相田みつを先生ばりに胸を張って答えた。

また、あくる日、某日本語学校へ向かうべく大阪の地下鉄に乗って移動中には、旅行者とおぼしき中華系の人たちが「どうぞ」と優先席を譲ってくださったり、訪問先の日本語学校でも丁重な応接をしてくださったりと、すっかり「老師」に見えるようである。

で、「加齢だなぁ」としみじみ感じながら瀬田へ戻る帰路の電車内で、私淑する内田樹師のブログをポチっと開いてみると、今から22年前のこんな記事に行き当たった。

“”「加齢」という概念は、逆説的なことだが「不老不死」モデルを無批判的に前提にしている人間においてしか成り立たない。

例えば30歳の人間が加齢を恐れるのは、「平均余命が80歳として、あと50年生きる訳か…」というふうに「人生ロードマップ」を描くことができると思っているからである。

「0歳のときの自分」から始まって、「10歳、20歳、30歳、40歳、50歳、60歳、70歳、80歳…の自分」を等間隔で配列し、それを一望俯瞰する想像的視座に自分は立てると思い込んでいる人間だけが「加齢」という概念を持つことができる。

そういう人間だけが、年を取ることを恐れる。

「年を取って、死ぬ自分」について、(まだ老いてもいないし、死んでもいない段階で)、一通りの見通しが立てられると思っている人間だけが老いを恐れ、死を恐れる。

だが、このような見通しにはどんな根拠があるのか?

平均余命が80歳であるということは、あなたが80歳まで生きるということを保証しない。そうでしょ?

そのあなたが、家から一歩表に出たとたんにトラックにはねられて死んでしまう確率はいつだってあるからである。

死の本質は、「人間は必ず死ぬ」という確実性にではなく、「人間はいつ死ぬかわからない」という不確実性のうちに存する。

人間はそのつど晩年を生きているのである。

「そのつど晩年を生きている人間」には「加齢」という概念は到来しない。

そのような人間には、蓄積してきた過去の時間と、かけがえのない現在という時間だけがある。

「死なないつもり」でいる人間だけが加齢による美貌の衰えを恐れ、老いによる体力の低下を恐れ、病の苦しみを恐れる。

人間を不幸にしているのは、「未来を見通せる」という賢しらである。(内田樹の研究室 2004年11月12日)””

ここまで読み進めて、はたと膝を打った。

「貯金がない」とか「この先の健康が不安だ」とか、こうした些末なライフプランに胸を痛めている必要など、そもそもないのだと我が身を反省した。

内田先生は、未来を計算しコントロールできると思い込む傲慢さを「賢しら(さかしら)」と表現された。「浅知恵」と言い捨てないところに、格調というか、上品さが漂う。そして振り返れば、私自身にも大した「賢しら」など備わっていないのである。

見通せるはずもない未来の不安を先取りして、勝手に怯えたり、嘆いたりするのはやめにしよう。なぜなら、私たちが本当に持っているものは「蓄積してきた過去の時間」と「かけがえのない現在」だけなのだから。

今日一日を振り返ってみれば、まさにその証拠がそこかしこに散りばめられていたではないか。

かつて教室で手塩にかけた教え子が、今や主任として立派に現場を回している姿を見ることができた。これは間違いなく、私が教育者として「蓄積してきた過去の時間」が結実した美しい光景である。

そして、異国の見知らぬ若者から「どうぞ」と敬意をもって席を譲られ、行く先々で丁寧な扱いを受けた。これは「老師」としての私が味わうことのできる、温かく「かけがえのない現在」に他ならない。

「人間はそのつど晩年を生きている」。

なんと心地よい響きだろうか。未来の心配をするのは、不老不死を夢見る青二才の「賢しら」に任せておけばいい。

年金をもらえる年齢になったのだ。老成と言われる風貌の変化を、生きてきた年輪として面白がりながら、今日出会う人、今日食べるもの、今日感じる風の冷たさや日差しの暖かさを、ただ素直に味わい尽くす。

それこそが、肩の力が抜けた、本物の「老師」の生き方というものではないだろうか。明日どうなるかなんてわからないからこそ、今日という「晩年」の一日を、ご機嫌に生きていこうと思う帰り道であった。

追伸 ”言語運用についてこそ知恵をめぐらさなければならないと日本語学校をまわった本日の活動の振り返りとして、その成果としたいものです。”  -と、締めくくるのが、多文化共生社会に資するソーシャルワーカーに相応しいのだろうか、と今も思案しているところです・・・(レポートも、提出前に少しは寝かさないとね・・・)

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