3月23日に思うこと
第二次世界大戦末期の、1945年3月23日深夜に、女師・一高女の寮生全員と自宅通学生の計222人、職員18人が沖縄陸軍病院に配置されました。これがひめゆり学徒隊の動員と言われるものとなります。また、米軍が沖縄本島を含む南西諸島全域を空襲した日でもあります。
10日の東京大空襲、13日の大阪大空襲と日本の領内は、戦火で覆いつくされてゆきました。令和の今となっても、3月の声を聞くと、戦の無い世の中はいつくるのだろうかと思い起こすものですね。同時に、社会福祉士の倫理綱領をみなおしつつ、沈鬱な気分になる朝です。戦後81年近く経っても、(ウクライナの戦争と中東の紛争、ミャンマーの内戦など)戦火の絶えない日々は辛いのです。
4年前の3月1日に日本ソーシャルワーカー協会倫理委員会が「戦争に対する私たちの考えとあり方について」が発出されて、明確に「(戦争に対しては)いかなる理由であれ、社会正義、人権、人間の尊厳等の観点から容認されるものではない」として、「全面的に反対」なのです。ということではありますが、世情をみわたすと・・・ロシアや中国のリーダーや、このところのアメリカのトップでさえも、力による現状変更というロジックが当然視されているわけです。蟷螂の斧のような気がしてなりませぬ。
それでも、です。
蟷螂の斧で、どうして悪いのでしょうか。
カマキリが大きな敵に向かって両前脚を振り上げる姿は、確かに滑稽に見えるかもしれません。勝ち目がないように見えるかもしれません。けれども、あのカマキリは逃げていない。そこに立っている。私はそこに、ある種の尊厳を感じるのです。
社会福祉を学ぶ皆さんに、少し立ち止まって考えてほしいことがあります。
「声を上げ続けること」の意味について。
ひめゆり学徒隊の222人の少女たちは、平均年齢17歳でした。看護の訓練も満足にないまま、砲弾の降り注ぐ壕の中で傷ついた兵士たちに寄り添いました。彼女たちに「世界を変える力」があったかどうか、という問いに「あった」と即答できる人はいないでしょう。でも、彼女たちがそこにいたという事実、そしてその記憶が今日まで語り継がれているという事実は、確かに何かを変えてきました。
記憶が語られる限り、人は繰り返しを問い直すことができる。それが歴史の持つ、ささやかだけれど本質的な力だと思います。
社会福祉士の倫理綱領には、「社会正義」という言葉が何度も登場します。これは美しいスローガンではなく、日々の実践の中で問い続けるべき問いとして、私たちの前に置かれています。
ロシアのトップが、中国のリーダーが、あるいはアメリカの大統領が何を言おうとも、です。
目の前の一人の人が、尊厳を持って生きられるように関わること。その積み重ねが、世界の形を少しずつ、本当に少しずつ、変えていく。社会福祉の仕事とは、そういう仕事だと私は信じています。
「そんな気休めで何が変わるの?」という声が聞こえてきそうです。
でも、ちょっと待ってください。
変化は、いつも「見えないところ」から始まっています。
1945年3月23日に動員されたひめゆりの少女たちの誰一人として、自分たちの存在が81年後に語り継がれ、学校の教科書に載り、多くの人の心を動かし続けるとは思っていなかったはずです。
あなたが今、社会人として、仕事や家庭の合間を縫ってこの専門学校で学んでいることも、同じだと思っています。20代でも、40代でも、50代でも、「今さら」なんてことはひとつもない。その学びが、あなたの関わる誰かの人生を変えるかもしれない。その誰かが、また別の誰かを支えるかもしれない。
社会は、そういうリレーで少しずつ、前に進んできました。
沈鬱な朝であっても、コーヒーを一杯飲んで、テキストを開いてみましょう。
今日勉強することが、未来のクライアントの誰かを救う日が、きっと来ます。蟷螂の斧で、いいんです。斧を下ろさないことが大切なのですから。
ひめゆりの少女たちの3月23日から81年。彼女たちの記憶に敬意を払いながら、私たちは今日も学び続けます。それが、戦火の絶えない世界に生きる私たちにできる、誠実な応答のひとつではないかと思うのです。
最後に、一人の作家のことを思います。
エーリッヒ・ケストナー。『エーミールと探偵たち』や『飛ぶ教室』で知られるドイツの児童文学作家です。彼はナチス政権下で著作を焼かれました。1933年5月10日、ベルリンのオペラ座前で自らの本が火の中に投げ込まれるのを、群衆の中にひそかに紛れ込んで、その目で見届けました。焚書の炎を、自らの目で。
亡命することもできたはずです。しかし彼はドイツに残ることを選んだ。沈黙を強いられながらも、ペンを完全には折らなかった。戦後、その理由を問われた彼はこう答えています。
「嵐の中に居合わせた者だけが、嵐のことを語る資格がある。」
今、世界は再び嵐の気配をはらんでいます。しかし皆さんは、その嵐の中で社会福祉を学んでいる。目の前の人の痛みに寄り添う言葉を、この時代に、この場所で、身につけようとしている。
それはきっと、語る資格を得るための日々です。
嵐の中にいるからこそ、あなたの学びには意味がある。ケストナーが焚書の炎の前に立ち続けたように、どうか今日も、テキストの前に座り続けてください。
※日本ソーシャルワーカー協会倫理委員会(2022)「戦争に対する私たちの考えとあり方について」 (www.jasw.jp/news/pdf/2022/2022_w-th-01.pdf)
※エーリッヒ・ケストナーErich Kästner(1899-1974)ドイツの詩人・作家。ドレースデンに生まれる。貧しい生活のなかから師範学校に進学するが、第一次世界大戦で徴兵される。除隊後、大学に進み、在学中より執筆活動をはじめ、新聞社に勤務。1929年「エーミールと探偵たち」で成功をおさめ、子どものための本をふくめ作品をつぎつぎと発表。やがてナチスにより迫害を受けるが、屈せずに書くことを続けた。1960年、『ぼくが子どもだったころ』とそれまでの作家活動にたいして第3回国際アンデルセン賞を受賞。(岩波書店HPより)