連休あけの五月晴れ、琵琶湖湖畔でおもうこと
社会福祉学を学ぶみなさん。連休明けで、いよいよ世間的にもエンジンをかけなければならない今日、5月11日。
前向きになれないなぁ、と昨年優勝した某関西球団のように失速してはいませんか?そんなこんなで晴れ渡る空の下、湖畔でぽつねんとすわっている社会福祉科係です・・・
さて、今日は、一見すると全く無関係に思える二つの歴史的出来事が重なる日です。ひとつは、1891年に現在の滋賀県大津市で起きた「大津事件」の日。もう一つは、KJ法という発想法を生み出した文化人類学者・川喜田二郎氏の誕生日(1920年)です。
歴史やビジネスの分野で語られることの多いこの二つの出来事ですが、実は、将来ソーシャルワーカーとして対人援助の最前線に立つ皆さんにとって、極めて重要な「二つの姿勢」を教えてくれています。この5月11日という日にちなみ、福祉の実践に不可欠な「倫理」と「傾聴」について考えてみましょう。
「法と権利の守護」と「カオスから声を拾う技術」
まず、大津事件から学べるのは「外部の圧力に屈せず、権利と原則を守り抜く倫理観」です。訪日中のロシア皇太子が警察官に切りつけられたこの事件において、当時の日本政府はロシアの報復を恐れ、法を曲げて犯人を死刑にするよう司法に猛烈な圧力をかけました。しかし、大審院院長であった児島惟謙は「法治国家としての原則」を貫き、政府の干渉を退けて死刑とはしませんでした。
社会福祉の現場でも、これと似た構図に直面することがあります。効率性や予算削減を求める行政の論理、あるいは「自己責任」を強いる社会の冷たい視線といった無言の圧力が、目の前のクライエントの権利や尊厳を脅かす時です。そうした時、ソーシャルワーカーは利用者の基本的人権を守る「最後の砦」として、社会の偏見や制度の壁に毅然と立ち向かう姿勢が求められます。大津事件における司法の独立を守り抜いた気概は、まさに福祉における「アドボカシー(権利擁護)」の精神に通じましょう。
一方、川喜田二郎氏が生み出した「KJ法」が教えてくれるのは、「現場のカオス(混沌)から、ありのままの声をすくい上げる技術」です。付箋を使って情報を整理するKJ法は、今やビジネスの会議などでもおなじみですが、本来はフィールドワークで集めた膨大で混沌としたデータを、先入観を持たずにまとめ上げるための手法でした。現在ではLLMやマイニングなる技術で、あっさりビッグデータのなかの混沌を整理してみることなど、易々と生成ai等はやりとげてしまいますが、これらIT技術が発展していなかった当時は画期的な技法だったといえます。
支援の現場にやってくる人々の語りは、常に理路整然としているとは限りません。不安や怒り、諦めが入り混じった断片的な言葉や、時には沈黙の中に、その人が本当に抱えているSOSが隠されています。福祉を学ぶ皆さんには、クライエントの混沌とした思いを勝手な枠組みや専門職の理屈で決めつけず、一つひとつの小さな声に丁寧に向き合い、本質的な課題を紡ぎ出す力が求められます。川喜田氏が重んじた「現場主義」と「データの声を聴く」姿勢は、まさにソーシャルワークにおける傾聴とアセスメントの核心につうずるものでもありますね。
「強い倫理」と「聴く技術」を両輪として
目の前の人の権利を何としても守り抜く「大津事件」のあとに起きた 児島惟謙の揺るぎない倫理観。そして、現場の複雑な状況や声なき声を先入観なくすくい上げる「KJ法」的な傾聴と分析の技術。この二つは、どちらが欠けても対人援助は成立しません。まさにクールヘッドとウォームハート(Cool Head, but Warm Heart)@A.マーシャルですね。
5月11日というこの日が、社会福祉という深い学問に向き合う皆さんにとって、自らの倫理的基盤と、現場の声に耳を澄ませる技術を改めて問い直すきっかけとなることを願っています。ぜひ、この二つの歴史的遺産が、みなさんの学びと実践の糧になるよう祈っております。