大暑すぎて、思うこと
今年入校なされた方、そして、2年目の方。いつも業務の合間に、レポート作成や国家試験勉強に活動し、お疲れ様です。今年は酷暑日も、すでに複数回発生しており、わが家のある三重県では40℃をこえるなど、体温というより発熱をこえている日中ですね。そして、熱いといえば、来月はホットなスクーリングですね。
今日は、あつかましいというか、多文化共生なんでしょうけれど、ガッツある「姿勢」についてのトピックです。
今年のネパール人留学生たちの旺盛な友人紹介熱をみていると、語学力があろうか、なかろうか、お構いなしにかの国の同胞を紹介してきます。「どうしたらよいですか?紹介状ください。(これで2万円お小遣いもらえる・・・)」毎日、事務所へ、どんどんきます。本当に今年は勢いが違います。
先月のOCでも校舎にはいりきらない程の80人超え、来場者が多くて規制をかけざるをえなくなりました・・・
嬉しいやら、困ったやら・・・ですが、9月入試については、さらに早いもの勝ちだとばかりに、各地の日本語学校から問い合わせの電話がひっきりなしです。9月10日の一回目の入試で(介護福祉士コースは)定員がうまる勢いですね・・・社会福祉士コースは、そんなことはまったく無いですけどね。
さて、この話を書いていたら、来年のサッカーW杯、2026年アメリカ・カナダ・メキシコ大会のことを思い出しました。日本代表残念でした。毎回「悲願の優勝」なんて言われて、毎回、なんとなく上品に散っていく、あの感じ。個人技うんぬんより先に、「もっと個の力、しかけて突破しろ」「もっとシュート打て」「パスを回しすぎだ」と、大会後の反省会は判で押したように、まいど同じセリフです。
一方で、南米やアフリカの選手たちを見てください。多少パスがずれていようが、体勢がおかしかろうが、「俺が決める」という顔でシュートを打ちにいきます。うまくいかなくても悪びれない。次のプレーではまた同じ顔でボールを要求する。あの図太さ、正直うらやましいを通り越して、少々腹立たしくもあります。「お前、さっき外しただろう」と言いたくなるのに、当人はケロッとしている。あの精神構造、日本人には輸入手続きが必要なレベルです。
我が校舎にいるネパール人留学生たちの「紹介するぞ、紹介するぞ」という勢いも、実はこれと同じ構造だと思うのです。語学力が足りていようがいまいが、「まずは声をかける」「まずは紹介する」「ダメなら次を紹介する」。失敗を恐れず、恥ずかしがらず、とにかく数を打つ。日本人のわれわれからすると、「そんな図々しい」と眉をひそめたくなる場面もありますが、世界標準で見れば、これがむしろ正常運転なのかもしれません。
翻って、福祉の現場はどうでしょうか。「遠慮」と「謙遜」が美徳とされ、「出過ぎた真似はいけません」と新人のうちから叩き込まれる業界です。もちろん、利用者様への配慮という意味では大切な感覚です。しかし、こと自分の意見を主張する場面、あるいは自分たちの仕事の価値を発信する場面においてまで、この「遠慮の美学」を発動させてしまってはいないでしょうか。
たとえば、処遇改善やケア記録の重要性を訴える場面で、日本人職員がおずおずと遠慮がちに提案するのと、外国籍のスタッフが堂々と「これはおかしいと思います」と主張するのと、どちらが組織を動かすでしょうか。答えは、火を見るより明らかです。厚かましいくらいに前に出た者が、結局は場をつくり、機会を掴んでいく。ネパール人留学生たちの紹介ラッシュも、南米の選手たちのシュートも、原理はまったく同じなのです。
さて、ここまで書くと、日本人はダメだという話に聞こえるかもしれませんが、そうではありません。むしろ、これは「奥ゆかしさ」という美徳の使いどころの問題です。利用者様への配慮には奥ゆかしさを、しかし自分自身のキャリア、資格取得、そして進路選択には厚かましいくらいの押し出しを。この使い分けができる人材こそが、これからの多文化共生時代の福祉現場で強く生き残っていくのだと思います。
来年のW杯で、日本代表がベスト8の壁を破れるかどうか、正直なところ、私は懐疑的です。技術は間違いなく世界レベルに達しています。足りないのは、あの「外しても平然としている図太さ」、そして「俺が決める」という厚かましいまでの自己主張です。皆さんの国家試験も、就職活動も、実は同じことが言えます。多少準備が万全でなくても、「まずは受けてみる」「まずは志望動機を熱く語ってみる」。その一歩を踏み出せるかどうかが、合否を分けるのです。
ネパール人留学生たちの紹介熱を横目に見ながら、私たち日本人も、少しくらいは「あつかましさ」を輸入してみてはいかがでしょうか。関税はかかりません。むしろ、今なら送料無料でお届けできそうな勢いです。皆さんの国家試験本番でも、「厚かましいくらいの押し出し」で、勝ちにいきましょう。